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長くてすみません。

 投稿者:水槌  投稿日:2006年 5月12日(金)23時02分48秒
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  先のブログの記事「GW中に購入」で触れていた『日本仏教曼荼羅』、昨日図書館で見かけたので借りてみました(あの中では最も私の専門に近そうなのに唯一持ってなかった)。で、さわりだけ読んでみたんですが、…正直言って微妙です。「研究ごっこ」とは言いませんが(というかそんなこと言う資格は私にはありませんが)、訳の不味さとも相まって、積極的に評価したくなるようなものとは感じられませんでした。

以下、未来の私が読んだら笑うでしょうが雑感。

まず、史料の扱いが粗雑すぎて、そこで何かが論証されているとは思えません。古代から現代まで、インドから日本(時に西洋?)までを俎上にのせるのは良いのですが、結果として何時、何処の話をしているのかが曖昧になっている気がします。概説だから仕方ない、と言われればそれまでですが。

漢字の誤植やルビの間違いが散見されます。フランス語から訳すことの難しさもあるのでしょうが、それ以前の問題も少なくありません。例えば、p.193「尊星王供」は、普通に読むなら×「そんしょうおうきょう」→○「そんしょうおうく」でしょうし、そもそも「尊星王法」の方が一般的な用語だと思います。また、同じ行の「御修法」は×「ぎょしゅうほう」→○「みしゅほう」ではないかと。漢字では、p.347に「鳩摩羅汁」が複数箇所ありますが、これは「鳩摩羅什」でしょう。おそらく訳者には仏教の知識が不足しています。

個人的に最も気になるのは美術史関係の記述にアラが目立つことです。先行研究を十分にふまえているとは思えません。まあ、日本の研究者も海外の研究をろくに参照していないので、この点はおあいこですが。念のため、1章から気になった点を指摘しておくと、

p.27 東寺講堂の帝釈天像は、鎌倉時代以降の補修部分が多く、手に持っている金剛杵も当初のものではない。しかも、9世紀造立当初の時点では、この像は金剛杵ではなく、人頭杖(文字通り、先に人間の頭がついた棒状のもの)を持っていたことが諸史料から推測されるため(『日本彫刻史基礎資料集成』平安時代重要作品篇一)、この像をここで例に挙げるのは適切ではないと感じる。
p.27 これは訳者の問題かもしれないが、後ろから2行目「教王護国の大典礼」という言葉が意味不明。具体的に説明してほしい(出来るものなら)。
p.28 密教伝来以後に造られた梵天・帝釈天像の例として唐招提寺金堂像が挙げられているが、この像が造られたのは8世紀後半という見方が一般的(9世紀とする説も確かにあるが)。
p.28 つづいて唐招提寺金堂の盧舎那・薬師・千手像と梵・釈・四天王像との大きさの差が問題になっているが、これほど差があるのはかなり特殊な例で一般化は出来ない。ちなみに、梵釈四天王が小さすぎる理由については、造立時期の差や経済的理由などの説が出されている(『奈良六大寺大観』唐招提寺二)。
p.38 鏡が「地獄の閻魔王の持物の一つ」とされているが、少なくとも日本の閻魔王の一般的な持物ではない(手に鏡を持つ閻魔なんて作例を私は知らない)。確かに閻魔王庁を描いた絵画作品には、たいてい鏡が描かれている(ような気がする)が、それを「持物」と呼ぶのは誤解を招く。

といった感じ。フランス人でここまで調べたのは凄いと思いますし、時に新しい視点があったりはするんですが、今のところ全部読む気にはなりません。なので、toroiaさんが面白いと思ったポイントをお聞きしてから続きを読もうかと。

あと、一応弁明しておきますが、私が自サイトでやっているのは研究でもなんでもなく、単なる収集行為ですので(トップページには「研究」とか書いてますが…、あれは「博物館」と銘打っているための言葉のアヤです)。
 
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